世界の祈りについて

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願いを叶える・新月・満月の願い/世界の祈りについて
世界の祈り/祈りがあなたを救う

祈りのミサでの祈り方のご質問につてこちらに明記しておきます。祈りのミサでの祈りは自由意思で何者にも捕らわれず心より願望の成就や負の浄化を願い、自分の幸せを祈って頂けたらと思います。
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祈りが幸せを運ぶ

満月の祈り

祈りのミサでの祈り方のご質問につてこちらに明記しておきます。祈りのミサでの祈りは魔術思想により当サイトは行っておりますので自由意思で何者にも捕らわれず自分の為に心より願望の成就や不幸からの脱却、幸せを祈って頂けたらと思います。

自分の幸を願いながら多くの人を感じ共鳴の力と満月の魔力を自分の体内へ導き、内なる小宇宙を大宇宙と同化させ良き気運を引寄せる大いなるパワーを得る祈りと思って頂けたらと感じます。そして、最後に見知らぬ人々への幸せを願える心を持って頂けたら幸いと感じます。満月に集結するパワーと神秘の魔力は、強い力となり未来を切り開こうとする意思と運気を引寄せることでしょう。

世界の祈り

世界には様々な祈りが御座います。祈りと言う行為は、神聖なるものへ意思を伝えるための誰でもできる簡易的な儀式の様なものです。様々な宗教でも祈りは活用されています。崇拝する神であり偶像に対しての思想、理念を持って殉ずる生き方の求めであったり幸せを願う行為でもあり懺悔を行うことにも祈りは幅広い意味合いを込められて行われます。世界には様々な「世界の終わり」を警告する予言や啓示も数多く残されています。世界の終わりが叫ばれるたび、人々は祈りにより世界を救ってきました。祈りがある限り世界は滅んでも人類は滅びなくなることはありません。どんなに世界が変わろうとも終わりなき魂の世界は消えることはないのです。

世界の祈りの基本を簡単にご紹介させて頂きます。

キリスト教の祈り

キリスト教においての祈りは賛美、感謝、嘆願、執成し、静聴、悔改と多様です。キリスト教の祈りの特徴は神の言葉を聞いてから始まるところです。神の言葉を中心として祈りを行うことが肝要となり自分の願望を叶える為に祈りがあると言った考えではないようです。
神の言葉は聖書となりますが、クリスチャンの祈りは聖書を読むことと一体と言えるでしょう。キリスト教には宗派が多数御座いますので宗派ごとの取り決めはあるようで神の母マリアや聖人に捧げる祈りをプロテスタント諸教会では、神の母マリアや聖人に対しての祈りは偶像崇拝と見なし行わないようです。

基本的な考えとしてキリスト教の祈りは、神を祝福する行為として行い、現世利益を欲せず神と人の交わりにあるようです。

仏教の祈り

仏教では祈りと言う考え方は無く願を掛ける(願掛け)となります。読経 ・念仏・題目・合掌・参拝と言った全てが願掛けとして行われるようです。短い祈りの言葉を繰り返し唱えるマントラなど、良いことを多く行う人には白い道が見え、悪いことを多くしている場合は黒い道が見える場合があり、黒い道が見える場合は、神に背く行為が多いとして罪を認め心を改めさせられる回心を行います。

仏教にも宗派は多く、宗派により異なる考え方を持つ場合も御座いますが仏教の基本的祈りは願掛けとなります。

イスラム教の祈り

イスラム教ではユダヤ教、キリスト教同様、偶像崇拝は厳格に禁止されています。サウジアラビアにあるイスラム教聖地、メッカを向いて祈りを捧げます。祈りはひれ伏す様に行いますが、イスラム教徒のひれ伏す対象はイスラム教の神であるアラーフとされている為、アラーフでない人間には頭をひれ伏すことをしてはならないとされているようです。イスラム教徒の祈りは生活習慣の位置づけとなっており毎日決まった時間に行われます。

祈りは方角が重視されますので方位磁石を用いて行うことも多いようです。

神道の祈り

神道での神は曖昧ですので祈りに関しても曖昧となります。日本神話では「尊(みこと」人格神とされ民間信仰では、神は至るところに存在があり、命・魂・霊・精霊・御霊など様々です。一般的に神社での祈りは神事となり自然に対しての感謝、豊作を祝う祭り、先祖崇拝など多目的に渡りますので祈り自体が神の成せる業の様なものになるでしょう。

人による神への祝福祈願、厄除け祈願、神棚なども神道では祈りとなります。

古来の自然崇拝の発展形が神道と言えるでしょう。