自分を守る自己愛の高めかた

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願いを叶える・新月・満月の願い/神秘の秘術
自分を守る自己愛の高めかた

自殺について明記しておりますが、自分を傷つける行為についてのお悩み、ご相談が多いのでこちらに明記しておきます。
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ギャラリー

生き抜く5分の時間

自分を愛すること、自分を好きでいられることで自分を守ることに一番の近道となります。自分を愛する心は何よりあなたの守りたい他者を守ることへつながっていくのです。

様々なお悩み、悲しみの延長に自殺を考えられる方もいるかもしれません。そんなご相談も多く頂きます。自殺の要因は様々で人それぞれ原因も異なります。

要因も原因も様々にマイナスに偏ることで自殺を考えてしまうものです。命を絶つ行為に共通する点は一点御座います。それは、決行まで5分の空間です。悩み、苦しみ、辛い状況を繰り返していますと誰だって生きる事に疲れます。しかし、悩みが多いからと言って苦しいからと言って自分が命を絶つことを考えているとは言えないのです。

人は生きることが本能であり、生きる為なら何でも出来ると思えるのが人間なのです。命を絶つ、自殺のメカニズムは決行までの5分の空間に御座います。ふと、その感情は湧き出る現象として襲ってきます。様々な悩み、苦しみが常に心にあると、一瞬ですが偶発的に命を絶つ行為が感情として沸き「自分は命を絶ちたい」と脳が錯覚しているのです。そして、感情のまま命を絶ってしまう傾向が最も多いのです。

計画的に命を絶つ人もいるでしょうが全体では少ないのです。最も多いのは衝動的な感情、状況にある偶然が悪い方向へ重なってしまったときに人は命を絶ってしまうのです。

自死の行為が衝動的に自分を襲う時間が5分と考えられています。

従って、幾ら自殺を考えようが、自分を傷つけようが、5分の空間を乗り越えることが出来たなら人は自ら命を絶つ行為の恐怖に苛まれ実行を回避することが出来るのです。リストカットを繰り返す行為に致命傷を避ける傾向が多いのも「生きる」と言う「生きたい」と言うべき本能が働き剃刀の動作を躊躇わす、その間に5分を乗り越えているのです。

自分を傷つけること、良くないことでは御座いますが、リストカットを繰り返してしまう背景の原点は「生きる」「生きたい」と言うこと。

生きたいと言う感情を誰かに伝達したい行動とも言えます。

しかし、人の基本は一人です。一人で生まれ一人で死を迎えます。その過程で素晴らしい人格者と出会う人もいるでしょう。ながらそれも偶発的な偶然であり良い方向と考えるのが自然ですが、偶然は必然とも言えます。
偶然を理解するとき、必然は見落とされがちになりますので奇跡とは後から思うものであり現状では見えないものでもあるのです。だから「生きる」「生きたい」気持ちを自覚と魂の叫びに自分が応える覚醒は必要となります。自らの本能を自覚して目覚めることが出来たなら自然とリストカットはおさまるでしょう。

衝動的な感情は悩みや苦しみの積み重なりで5分の空間を人によっては頻繁に繰り返し湧き出る感情となってしまってる場合があるかもしれませんが、それは偶発的な感情、衝動の繰り返しに過ぎず本当の意思、考えでは無いのです。

自らの本能は常に「生」を求めているのです。自分を守る為に常に意識するべきことは一つ「生きる」です。何事があろうとも何を差し置いてもまず、自分を守るを優先させる意思を持って頂きたくお願い致します。

5分を乗り越えることが出来たら自分の未来は続くのです、そして、未来は変えることが可能なのです。本能に従い生きるを選択することにより未来を変える、現状を変えることが出来ると強く思う心は決して失ってはいけません。

子供を守りましょう

子供は国の宝、自分にとっても子宝と言いますが子供を守る為に宝意識から放れましょう。あなたにとってお子様は宝には変わりは御座いません。しかし、お子様は一人の人間であり人格者です。ダイヤ、ルビー、宝石の様に自分勝手な思いより手放すことのある宝とは違うのです。自分の手から離れるときは、親からの巣立ち、それは、子供が親になる為のステップなのです。親から子へ、子から子へと人の心は引き継がれ人類は続いているのです。宝とは自分だけのものであるものだから人として命、生があるお子様は宝には成り得ないのです。
一人の人格者として接しながら親は子より先に生まれた人生の先生として、お子様の成長をサポートすることに徹することが望まれます。

イジメについて

大人の社会にDVやセクハラなどがある様に子供の世界、社会のイジメは当然と考えなくてはなりません。

大人の社会はあくまでも子供の社会の延長線上にあるのですから本来、暴力や誹謗、中傷が大人の社会で犯罪であるならば子供の社会で起きた出来事に対して大小関係なく犯罪として扱うべきでしょうが現実は、イジメと言う言葉に守られし悪行は犯罪の定義には値されません。昨今のイジメ問題でようやく大人に意識され始めたのが現状です。子供社会のイジメは子供の人格を認めない大人社会が作り出した負の産物とも言えることでしょう。

ならば、イジメから子供を守るにはですが、よく耳にするのは子供は学校での出来事を親に喋らないとか恥ずかしいから言わないと言いうことです。しかし、本当にそう思うでしょうか、それは、著名ある人たちの言い訳に過ぎず、大人の立場から見た子供社会を湾曲させた反映に過ぎないのかもしれません。

お子様が生まれたとき、とても嬉しかったでしょう、それと同時に子育ての厳しさ、難しさ、大変さを身に覚えたと思います。
生まれたてのお子様は、何事に際しても泣くだけで、それ以外の信号を発しません。
お子様が泣くたびに親は「お腹が空いてるの」「どこか痛いの」「眠いの」など、様々なことを考え試行錯誤しながら子育ては過ぎて行きます。
その頃を少しだけ思い起こして下さい。
ある一定の時期を超えたときからお子様の泣き声で何を欲しているか予測がつくようになりませせんでしたか。泣き声、仕草で言葉の通じないお子様と心が通じたときの喜びを思い出してください。

そうなのです、子供の成長とともに会話が始まり言葉で要求を理解する様になって楽になった反面、お子様の心が見えなくなって本当の欲すること、言葉の裏に隠れた真相、そして、仕草を見落としてしまっているのです。生活に追われる日々、多忙なお仕事に何時しか、親は子供と真剣に向き合わなくなってしまったのかもしれません。

お子様は常に自分の心を開いてSOSを発していることを忘れてはいけません。

恥ずかしいとか、何も喋らないとかは大人の言い訳に過ぎず、言葉の裏に隠れた真相、仕草、態度の変化を見落としている結果がイジメから子供を救えない大きな要因となっているのは否めないのです。

非常に残念と思いますますが現状では頼りになるべき組織は機能不全に陥っております。イジメを無くそう、イジメは悪いこと、そんな事を言っている間は関係各位に任せておくわけには、いかないもの現実として受け止めなければなりません。イジメはあって当然、無くならないものと考え誰もが被害に合う可能性を秘めた問題として親は常にお子様の言葉の真意を探る努力と仕草、態度に敏感になる必要はあるでしょう。
そして、お子様のSOSを感知することがあったなら戦う道を選ぶか避ける道を選ぶか家族間での話し合いを重ねながら打開する道が求められるでしょう。

様々な事情もあるでしょう、社会人としての自身の立場だって御座います。しかし、お子様の人格を尊重した答えを選択することがお子様の未来に大きな影響を与えるとことを忘れてはいけません。戦うことも避けることも、どちらも辛く苦しい道のりになるかもしれません。
しかし、大切なのは起きてる現実を早期に察知出来る感覚を親として養うこと。そして、最悪が起こっていると思ったら迷わず現実に取り組む姿をお子様に見せること、親が安心な逃げ場所としてお子様に安らぎを与えるのは今も昔も変わらないのです。いくら社会が便利になろうとも親と子供の関係は不変なのです。

孤独・寂しさを知る

人により悩みは様々で個々のご相談についてご解答をさせて頂いております。お悩みの解消方法も様々御座いますので自分自身に見合った、現状に合わせた解決を目指して改善することを一つの目標として日々をお過ごしになるお心を持って頂けたら幸いと感じます。

人は一人と申し上げましたが、個人、個々の集合体が社会であり世界の形態を担っております。「人の始まりは一人であり死すときも一人」と言う普遍的現実を前提として社会の形態を最大限に利用しながら自分が使えるものは存分に使って悩みを解消する意思を持ちましょう。お悩みの解消法の一つとして、第三者、第三者機関の相談窓口を利用することも良いでしょう。

何故、今、その事案があなたにとって悩みの種になっているか、それは、自分自身で解決なり改善が難しいからでしょう。解決が難しい問題だから自分の中で堂々巡りをする、堂々巡りが自分を苦しめ辛さが五感を麻痺させ、最終的に自分を見失う行為を引寄せてしまう方向性を生み出す負の連鎖を何処かで断ち切らなければなりません。大切なのは五感を麻痺させない様、生きている自分を感じること、そして、自分の心を苦から開放すること、最後に自分の未来を切り開く気持ちを持つことでしょう。

人は一人であるけれど、生きる世界は一人では御座いません。

孤独、寂しさは誰もが共有する人間の本質、孤独を感じず、寂しさを感じない人間は人間として生きていくことは出来ません。だから孤独、寂しさを怖がる必要も無いのです。当たり前にある感情であるから孤独を感じ寂しさを感じたらそれは生きている証拠となるのですから。そして、世界の誕生から普遍的な原理として孤独が絆を生み、寂しさが社会を作るのです。
自分を守ると言うことは孤独である自分、寂しさが募る自分を受け入れることで自分を愛すること好きになれることに繋がり自分の未来を切り開く手段を模索するエネルギーとなるのです。

何かを守ると言うことは、とても大変なこと、困難なことかもしれません。トラブルが起きる前に事前に回避出来たならそれが最も良いのです。トラブルを未然に防ぐこともまた人生を楽しく生きる方法の一つです。その為に日々の努力を頑張る自分を大切に生きて下さい。

しかし、起きてしまったら全身全霊を持ってトラブルに対応していきましょう、様々な選択を屈して自分を守っていきましょう。

呪いと魔術、祈りの技法と実践を用いて当サイトは皆様のお悩み解消と願望成就のサポートを行わせて頂きます。

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