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古代魔術と降霊術の関係

古代魔術と呪術HEADLINE

降霊魔術・降霊術

魔術が「黄金の夜明け団」によって近代化される前の魔術、自然魔術とも言います。現代の黒魔術でも一部、古代魔術を推進する団体もあるようです。

黒魔術・降霊術

占いのため亡者の霊を呼び出そうとする古代魔術。降霊術は、先祖の霊を呼び出すシャーマン系の魔術です。古典的な魔術で呪術師はトランス状態に陥りかん高声、唸るような奇声を発しながら死者との降霊を行っていました。古代バビロン、エジプト、ギリシア、ローマで行われていたとされています。
キリスト教の普及とともに降霊術は死者の霊を呼び出すのではなく悪霊(デーモン)を呼び寄せるとして禁止されることになりましたが降霊術が無くなることは御座いませんでした。
北欧では巫女の予言として降霊術は盛んに行われていました。ハーフエルフの王女であるスクルドは無敵の戦いを続けていたのも彼女の戦士は魔法で甦らせていたと伝えられています。しかし、ローマカトリック教会では降霊術を霊の姿をした悪霊(デーモン)を呼び出す悪魔魔術として断罪します。
中世になると降霊術は天文魔術を吸収してキリスト、イスラム教義である悪魔祓いに使われる様になります。意志の操作、幻影、知識と3つの要素を悪霊の力を持って遂行する降霊術は生贄による報酬を呼び寄せには必要であり人肉も例外なく報酬に使われました。
グリモワールなどで伝えられる降霊魔術は悪霊を呼び寄せる術に過ぎず悪魔を呼び寄せることは困難であったのが推測されるのです。本物の悪魔は報酬などは求めません。闇の頂点に立つ悪魔群は気品も気質も兼ね備えた神に匹敵する力を持つからで神と対峙出来る唯一の力が悪魔なのです。悪魔が求めるもの、それは闇の支配を天界へ齎すことただ一点なのです。悪魔の存在は否定できないことでありますが人間の手によって降霊が出来ていたかは不明なのです。現代に残るグリモワールでの降霊術も古代で行えていた悪魔を呼び寄せることが現代人に出来るかは不明であり個人で行うときも依頼するときも降霊術による召喚・招喚魔術及び古代魔術の危険は考慮しなければならないことなのです。

近代魔術は神の力も悪魔の力も対等として願望に合わせた協力と支援を求める技法であるから宗教では弾圧の対象となったと言えるのでしょう。善も悪も肯否定することなく光と闇のエネルギーとして宇宙の法則が全知全能である力であり魂の思いを叶える力であると当サイトは感じております。

現代において降霊術は死の操作を自称するものであったり交霊会、チャネリング、スピリティスム、スピリチュアリズムと言った交霊、心霊術となっています。

古代エジプト魔術

古代エジプト魔術

古代エジプトでは魔術と宗教は生活の一部として切り離すことは出来ませんでした。神々や悪魔は様々な出来事の要因とされていましたので神託は日常生活において欠かせないことでした。医学も魔術で行われており医師は「セクメト」・「セルケト」と呼ばれた神官が行いました。
古代エジプトの魔術は文章が多く潜在意識に働きかける魔術が主体となっていました。西洋魔術にも大きな影響を及ぼしたのもエジプト魔術です。エジプト神話に登場する三柱神、イシス、オシリス、ホルスの力は絶大を誇り「死者の書」に魔力の威力が残されています。死者の書は死者の冥福を祈り死者と共に埋葬される葬祭文書です。死者の霊魂が肉体から離れ死者の楽園アアルまでの道のりを示しています。古代エジプト社会と人々が死後の世界を重んじていることが伺える書物です。
古代エジプト神話と文明に開花した宗教は、その後のユダヤ教、キリスト教へと伝承されたと言われるほど古代英知の結集でもあり西洋魔術の起源とも言うべきギリシャ神話と同等に多くの伝承が残されています。「黄金の夜明け団」も古代エジプト魔術を重んじておりメーソン団体も同様、古代エジプト魔術の儀式を重んじておりました。
古王国ファラオ・ウナス王は「われは神々の魔力を食らい、その魂を呑みこむ。われは朝に大きな神を食らい、昼に中ほどの神を食らい、夕に小さき神を食らう」と言葉を残しています。古代エジプトの魔術が如何に強力であったかを物語っているかにも思えます。周囲を砂漠に囲まれた要塞地形は他の部族の侵入を妨げナイル川の豊富な水源にも恵まれながら個性的な文明を発展させ権威の象徴ピラミッドなど多くを築きましたがローマ帝国の侵略により滅亡への道を歩むことになりました。

ブードゥー教の黒魔術

ブードゥー教の黒魔術
カリブのハイチ、南米に伝わる民間信仰です。宗教と見なされることも多いのですが正式な活動を行っている団体などは御座いません。白人の奴隷貿易時代、ハイチに連れてこられた黒人たちにより広がったアフリカの民間信仰にキリスト教の聖人信仰が組み込まれ骨格はほぼ、アフリカ民間信仰となります。西アフリカでブードゥーは「精霊」を意味します。
ブードゥー教では人形での呪い、願掛けを行います。

ハイチに連れてこら奴隷化したフォン人たちが奴隷から逃れようよと山岳に潜みキリスト教を隠れ蓑に故郷の宗教を信仰する中でキリスト教と混合しながらブードゥー教は広がりました。その規模は全世界で5千万人とも言われチベット宗教の3千万人をはるかに超える信者がいます。
白人からは奴隷の邪教としてとして受け入れらない時代背景があり、ブードゥー教はアメリカのハイチ占領によってゾンビを扱う映画などでブードゥー呪術に悪評を齎したが、ブードゥー教自体は郷土に根付いた土地の精霊や妖精の教えであり動物の生贄の儀式などもありますが太鼓とダンス、歌によって神憑りの儀式などを行っています。西アフリカ、ベナン共和国では国教となっています。

インド神・ダキニ

インド神・ダキニ
ダキニは羅刹系の神。仏教の神、ヒンドゥー教の女神に由来があります。羅刹とは鬼神の称号で破壊と滅亡を司る神とされています。人間と獅子の間に生まれた子供がダキニになると言われ鳥肉や人肉を主食していたと伝えられています。ドクロを持つ女神の姿をしている。大日如来が化身した大黒天に調伏され死者の心臓であれば食することを許されると、人の死を6か月前に知る能力で死ぬ前の人を見つけれると死ぬまで加護を尽くし死後、心臓を取って食べていた。人の心臓には「人黄」と言う生命力がありダキニの呪術の力を高めていたと言われています。大黒天に降伏すると仏教に帰依しました。
日本には平安時代、空海によって伝えらた真言密教として狐神(稲荷)となります。平安中期から後期にかけて勢力の拡大は平清盛を始め天皇家まで修法を学んでいたと記録が残されていますが清盛が行っていたのかは分かりません。日本では尊天となり一度信仰すると死ぬまで信仰を辞めることは出来ず途中で止めると衰退の一途を辿るとされています。狐神の形態は日本のオリジナルの文化でインド、中国では見られないものです。
山岳宗教であった稲荷とダキニの呪術力が狐ツキや憑依、祟り呪術を形成していくことになります。