魔女術 ウィッチクラフト

ウィッカ、ウィッチクラフト(ジェラルド・ガードナー)

魔女術 ウィッチクラフトとは

ウィッチクラフト魔術

魔女術(ウィッチクラフト)

イギリスでは妖術を行使して人に害を及ぼす者をウィッチ(witch)と呼んでいました。日本では「魔女」と訳されます。魔女の語源となるラテン語には悪行をさす言葉があり、古代ローマでは呪術を使用して人を害する者は処罰の対象となりました。イギリスでは妖術を使わない魔女の存在も確認されています。俗に白魔女と呼ばれる者達です。占いや心霊的な治療などを行う白魔女は民衆の間ではとても人気がありましたが教会関係者は白魔女も魔女と同類視して魔女裁判の対象とされていました。

魔女は時代背景によって解釈は変化していきます。古代から中世期までのヨーロッパでは俗に呪術を扱う魔法使いとしての魔女像が主流でした。15世紀頃に魔女は呪術師から悪魔との契約によって超自然的力を得るとされ、デーモンとの性的行為によって魔女は力を習得する者とされます。このころより魔女裁判が盛んに行われるようになりました。
中世期以降はドイツで発祥されたとするメルヒェンの空想的な物語の中で魔女像は作られます。(日本ではメルヘン・ファンタジー)。メルヒェンとは動物と話したり巨人の話、魔法使いなど空想的な物語です。その基礎は民間伝承や信仰となります。20世紀に入ると新異端教徒主義(ネオペイガニズム)のブームが起こり多種多様の宗教運動が世界に広がっていきます。ネオペイガニズム運動はスピリチュアルの世界へにも多大な影響を与えていきました。その一方で歴史的・民俗的起源を持つ、土着的・民族的宗教を再建または復活への運動も盛んとなり現代の魔女像へとつながっていきます。
魔女は女性ばかりでは御座いません。男性の魔女の存在も多く確認されています。西洋の魔女は(witch・ウイッチ)と呼ばれ必ずしも女性に限定されてはいません。魔女裁判の迫害を受けた男性の記録も残っています。
日本語訳でwitchは魔女と訳されているので魔女は女性である印象が深く根付いています。
西洋では魔女は差別用語でもあり、西洋での魔女崇拝はwitch(ウイッチ)を嫌いウイッカと称す様になります。魔女は古代の異教を伝える人々であったという思想を前提に、魔女の信仰と知恵を復興させ現代に実践しようとする宗教運動での魔女が現代の魔女像と言えるでしょう。
20世紀に入りイギリスで魔女禁止令が解かれると魔女を崇拝する宗教集団の活動は活発になり魔女崇拝は魔女学としてキリスト教以前に存在したヨーロッパの多神教の復活が盛んになり魔女たる人物各位はキリスト教の悪意によって魔女とされましたが「キリスト教以前の古き宗教の神々の崇拝者」としてその勢力を拡大することになります。
イギリスのジェラルド・ガードナーが魔女宗の事実上の創設者でウイッチクラフト(魔女宗・魔女術)を体系化しました。その後、分派やどこにも所属しない単独での魔女など様々に別れていきます。

米国で魔女は魔女宗と認めれ1つの宗教活動として成り立っています。魔女宗は13名の魔女から構成され、それ以外で魔女を名乗るものを魔女とは認めず、また、団体も魔女宗を認めません。

魔女宗や魔女術も近代になり魔術との混合によって魔女魔術のコンテンツを有するようになります。魔術の分野として魔女学(魔女宗)による魔女術は魔術学と類似する部分も多いです。
主にキャンドルやオイル、ハーブを用いる魔女術は古来より土着に根付いている「おまじない」が基盤となります。

魔術本来の理念は宗派や宗教的な観念を求めるものではありません。キリスト教支配から人権的、思想の自由を求めることで魔術は古代から近代へと伝承されてきた歴史があります。魔術宗、ウィッチクラフトも1つの魔術の形となるのでしょうが元来魔術理念とは根本的な思想では違った意味合いを持つのかもしれません。

ジェラルド・ガードナー

ジェラルド・ガードナーは「近代魔女術の父」と呼ばれている事実上のウイッカ、魔女宗(ウィッチクラフト魔術)の創設者です。東方聖堂騎士団(OTO)の幹部でもありました。魔女宗に重要な教義、呪文、祈り、儀式などの方法が記された「影の書」を創作し魔女宗を体系化しました。