生霊について(生霊とは何か)

【生霊とは】生霊の正体と生霊憑きの症状からお祓い

生霊退治もお任せ下さい

生霊の正体と生霊憑きの症状からお祓い

生霊(生き霊)という言葉を聞いたことがある人は多いと思いますが、では、生霊とはなんでしょう、その正体はと聞かれると漠然としていませんか。
一般的に「霊」とは亡くなった方の霊魂をイメージすると思います。死者の霊は死霊(しりょう)となります。生霊(いきりょう)とは生きている人の「霊」となります。生きてる人の「霊体(魂の一部)」がなんらかの理由によって肉体から離れて自由に飛び回るのです。「せいれい」「いきすだま」とも言います。
生霊も死霊と同じ、それ以上に厄介な負の塊になることがあります。もちろん、生霊全てが悪いとか怖いものではありません。良い生霊もあります。
悪い生霊はマイナスの影響を及ぼす厄介な霊障の原因になる場合があるのです。

生霊が誕生する瞬間

人の念が最も強烈な力を放つのは、未練や執着が深く心にある、残っているときです。後悔を残しながら死んでいくときとなります。その思いは魂を縛り付け地縛霊や浮遊霊といった霊体となってしまいます。
ネガティブな想念を残している霊体は生きている人に悪影響を与えます。それが死霊や悪霊となります。死んだ人の霊です。

死の次に強烈な念となるのは愛の気持ちが強すぎる心にある念です。本人の意思に反して突然終わったときや果たせない想いが心に充満してしまったときです。「果たせない愛」「愛の終わり」に生み出される念は「生霊」となります。
愛の想いが強いとき誕生してしまった「生霊」はとても怖いです。

「愛の念」以外でも実は「生霊」は誕生しています。生霊が誕生する特徴は誰でも日常茶飯事に誕生させているところです。

生霊の霊障の症状とは

生霊の霊障の症状とはどんなものでしょう。
ふと、なんでもないときに意識が飛んでしまうことはありませんか。気がつくと時間が経過していたとビックリしてしまった経験はないでしょうか。何かを夢中に考えていているときなど時間を忘れてしまったかのような感覚を抱いたとき生霊が飛んでいることがあります。「ドッペルゲンガー」と言う言葉を聞いたことがある方もおられると思います。自分が行っていない場所や時間に自分と同じ人が現れる現象です。
「〇〇さん、〇〇の公園にいたでしょう」
なんてお友達から言われてなんだか訳が分からなくなったことなんてあったらそれはドッペルゲンガー現象が起きていたのかもしれません。自分のドッペルゲンガーを見ると「近いうちに死ぬ」とも言われ恐れられています。日本でも江戸時代に自らの生霊を目撃した後に死に至る「影患い(かげわずらい)」「影の病(かげのやまい)」という病気であると考えていました。ドッペルゲンガー現象も生霊となります。

意識の空白が急に起きたり、行っていない場所で姿を見かけられたりした経験がある方はひょっとしたら「生霊」が飛んだのかもしれません。しかし、生霊を飛ばしてしまったと思っても何も心配することも不安になることもありません。生霊が飛ぶのは日常茶飯事で案外と誰にでも起きることなのです。

飛んでしまった生霊が魂の一部だとしたら知らないうちに自分に戻ってきます。知らないうちに飛んで知らないうちに戻ってきます。たとえば、幽体離脱ができる人がいます。あれと同じで意識があるか無いかの違いだけです。

魂の一部が飛んでしまっている間は少し体調を崩してしまうことがあるかもしれません。風邪をひいてしまったり寝冷えなどお腹を壊してしまったりです。頭痛を感じる人もいるようです。体調が少し悪くなったりしますが戻ってくれば症状もおさまります。ただ、返ってきた魂の一部がマイナスエネルギーに汚染されてしまう場合がありますので不運や不幸を引き寄せるキッカケともなります。

飛んでしまったのが情念(念)だとしたらほぼ自分には返ってきません。浮遊や自縛する同じ性質の情念に吸収されることもありますし、その殆どが自然界で消えてなくなるのです。

生霊とは飛ばしている人の意思に関係なく勝手に飛んでしまうのが特徴となります。

良質な生霊と厄介な生霊

生霊にも良質と悪質があります。良質な生霊は念の感情エネルギー体です。それに対して悪質な生霊は魂の一部の霊体です。

生霊は念(感情エネルギー)であるときと霊体(魂の一部)の2種類があります。

日常茶飯事に飛ぶ生霊の大部分は良質な生霊ですから気にすることはないのです。悪質な生霊は飛ばしてしまうと厄介になります。

念とは言葉通り今の心の感情です。ですからいくら飛ばしても問題はないのです。悪い感情であれば飛ばすことにより心が軽くなるプラス作用があります。

ずっと悩んでいたことが吹っ切れたなんて経験はありませんか。そんなときは心にマイナスと働いていた念が生霊として抜けたときです。これもまた「生霊が飛んだ」となります。
念(感情エネルギー)の生霊は同種の念に吸収されれば1つのマイナスの塊になりますので必ずしも特定の場所や人物にたどり着くとは限りません。

厄介なのは魂の一部が生霊となってしまうことです。よほどのことがなければ魂の一部が飛んでしまう様なことはありませんがいくつかの条件が偶然に揃ってしまったときに飛んでしまうことがあります。生霊は目的の人物にたどり着き相手にとってマイナス作用を及ぼしてしまうのです。最悪は憑依してしまう場合もあります。

この場合は、お互いにとって厄介です。飛ばしている人も体調不良が続いたり精神的にとても弱ってしまいます。

生霊が飛ぶ時の条件の1つは「情念が深い」場合です。他人に対して嫉妬や妬みを強く抱いた場合や人を愛しすぎるあまり「好き」「会いたい」気持ちが強くなりすぎて生霊が飛び出します。

日常茶飯事で簡単に飛んでしまう生霊はあなたの意思に関係なく飛びます。心配になることもあると思いますので生霊には良質と悪質があることや飛ばしても大丈夫な生霊があることを知っておくことはよいことだと思います。

誰でも生霊は飛んでしまうものですから「生霊を飛ばしてますよ」と言われたら「ドキッ」とすることもあるかもしれません。また、「生霊飛ばされていますよ」と言われてもやっぱり「ドキッ」とするものです。「ドキッ」とする人は「生霊を飛ばしているかも」「〇〇に生霊を飛ばされているかも」なんて思ってしまうかもしれません。それは情念が深いときに生霊が飛ぶ条件の1つだからです。誰だって情念は持ちますね。大好きな人を想うことや別れ際がドロドロになってしまう人だっています。
情念が生霊として全てを悪者にしてしまえば人を好きになれません。愛することなんて出来なくなってしまいます。まして別れることすら無理なことになってしまいます。

「情念(念)の生霊」と「魂の一部の生霊」は感じ方は全く同じです。ですから最初は見極めることは極めて困難ですが2,3月もすればはっきりと分かってきます。念の生霊はある条件をクリアしなければ自他共に害を及ぼすこことはありません。
あなたにとってマイナス感情である情念なら飛ばせばよいですね。心にプラスエネルギーを吸収するペースを確保することにもつながります。

問題なのは悪質な生霊です。魂の一部が生霊となり飛んだ場合は体調不良や不幸や災いの元になってしまいます。飛ばされた方も同様です。この場合は何らかの処置を行っていかなくてはなりません。

生霊は自分でコントロールできない

生霊は自分でコントロールすることは基本的には出来ません。感情のコントロールが出来ない人もいますね。それと同じです。もし、生霊を簡単にコントロールできるのでしたら日常茶飯事に飛ぶことはないですね。生霊は一定の条件をいくつもクリアしなければコントロールすることはできないのです。