願望と欲望のバランスについて

願望と欲望のバランス

欲望と願望の違いとは

心のメンテナンス

執着心との上手な付き合い方

執着心とはとかく人を狂わせてしまうものとして、あまり良い感情として受け止められることがありません。
執着心を手放すことや捨てることで人生を変えようとする試みがあるのも執着心から湧き出る特定の人や物に強烈な思いを抱いたり拘ってしまうことで自分をダメにしてしまうことが多いからです。
また、執着心には得る前と、得た後に抱く2種類あります。得る前に抱いた執着心について捨てたり手放すことで幸せになることが容易になるのですかとご質問を頂ますが「はい」 と言い切れないことではあります。恋愛に関しての執着心とは人を好きになるところから始まりがあって、恋心を抱くと誰でも好きな人の愛が欲しくなるものです。恋をするまでの過程は人それぞれでも恋心を抱く動機は大きな変わりはないもので、恋をして「愛」を得るか、得ることができないのかで将来的にも恋愛の行方は大きく違ってくるものです。だから人は執着心を抱くのです。執着心の中心は「愛」であることは紛れもない真実であることは確かでしょう。
執着心を手放す、捨てることは、すなわち「愛」の放棄ですから好きな人の愛を得るための努力を手放すことにもなります。また、思い続ける気持ちを意図的に意識して捨てることにもなりますので幸せになれるのかは分からないことになります。
意図的な思考を働かせて執着心を捨てると言っても頭では理解できても心では理解できないことでもあります。意図せず自然な形で執着心を捨てることができる経緯の1つには、自身が向き合ってきた恋と愛にズタズタになり、ボロボロになってやっと理解することができるのものです。それは、とても辛いことで悲しい痛みを伴うことになるでしょう。けれど、人を好きになって愛することはときに自分が傷つくこともあり痛みなくして手に入れることができない場合もあります。だから得た時の愛はとてつもなく暖かく大きいと言えるでしょう。
そこまでに達する前に心が破壊されてしまう可能性も否めませんので、心を壊してしまうくらいなら執着心を捨てる、手放すことは自分を守る意味として1つの選択肢にはなります。けれど、その場合の問題は頭で理解しても心は必ず好きな人に残ってしまうことです。それは偽りの自分が始まってしまう危険性と妥協を伴う選択を自ら行うことになるとも言えます。その後、好きな人を思いながら違う人を好きになろうとしたり付き合ったり、結婚することもあるでしょう。日本の夫婦の離婚率や不倫の現状や、子供を虐待してしまう等々など妥協によって生じたマイナス面とも言えますので意識して執着心を捨てることが良いことばかりとは言えません。
しかし、妥協が悪いと言うことでは御座いません。妥協しても本当の幸せを手にすることができたならそれはそれで良いことです。意図的に執着心を手放すことで本当の幸せを手に入れることもできます。ただ、それには妥協の条件として、あなたが自分の中で執着心と向き合って愛を欲する心を清算することが必要となってきます。清算することができれば、執着心は消えてなくなりますので自分自身に妥協を感じることなく新しい恋を充実させることもできるのです。

執着心は愛を得ようとする意思を高めます。また、恋に対しては強いプラスのエネルギーともなります。マイナス面をカバーするには自らの自制力を高めていかなくてはなりません。自制力が伴えば執着心が有るのと無いのとでは恋愛を成就させていく力は天と地以上の開きはあるでしょう。ですから、もし、あなたが執着心を抱くことで悩んでいたとしても執着心を悩みの本質に置く必要はないです。執着心によるマイナスの作用を防止していく自制心を意識していくことで執着心と上手に付き合っていけばよいでしょう。自制心を高めることで執着心からプラスのエネルギーを引き出すことはできるのです。

そして、重要なのは執着心の無いもの、抱けないものは自分が手にすることは無いと言うことになります。

欲望を抱くことについて

欲望はその言葉のイメージで悪いと考えてしまうこともあるでしょうが、欲望を抱くことに悪いことはありません。むしろ自分にとってはプラスになることもあります。

欲とは、何かを欲しいと思う気持ちや、その状態が強いときに心に抱かれます。抱いた気持ちを強く満たしたいとき思うときに不足を満たしたいと強く願うとき、欲望が心に芽生えてきます。
欲とは人間が人間である限り、肉体を持ち続ける以上、限りなく心に抱かれる感情です。欲は人間の本能であり肉体の欲求でもあります。
肉体を持つ人間が欲望に心を動かされたとしても、それは自然の摂理であります。あなたがもし、欲望に満ち溢れていると悩んでいるのでしたら悩むことはないのです。それが普通の人間であって、心は正常に動いているのです。欲望を抱いたとしても悩むことも無理に放棄する必要もありません。それは欲望は人間の向上心を高め、人間としての幸せを引き寄せてくる力にも成り得るからです。
仏教で欲は本能的なレベルで精神世界のものであり、心にとって精神を良くしていくもの、愛情を育てるものと説かれると同時に抑制しなければならないものであるとも説かれています。

恋愛での欲望に連想される肉体の満足となるとセックスなど肉体関係になってしまうことがありますから欲望を抱くことに拒否感を抱く人もいるかもしれませんが好きな相手との関係はそればかりではないものです。
好きな人と一緒にいたいと思う気持ちや愛する人の恋人になりたいと思うことは、相手の肌を感じることであります。相手の息を感じることでもあります。手をつなぐこと。会話を楽しく弾ませること。一緒に公園や動物園に行く、映画を見る、食事をする。その他、様々なことは全てにおいて肉体を持っているから楽しくて喜べることばかりです。
人は喜びを感じると細胞が活性化され新陳代謝が促進するもので満足感は細胞を活発にさせます。ですから欲望を抱くことはそれら人間同士のふれあい全てを含め求めたい気持ちでありセックスだけに結び付けることはできません。あなたが好きな相手に対して抱く感情を自分の意思に背いて捨てたとき、あなたの肉体が感じるものは悲しみと苦しみであるとしたのなら欲望を捨てる理由は何もないことになります。

精神世界に殉ずる人間であれば、その教えに欲望がダメとあるなら従う必要はあるでしょうが、一般の社会に生きる人間で無宗教の人たちまでが欲望を良くないものと考える必要はないでしょう。

けれど、欲望はときに、自分を苦しめてしまうことがあります。そして、暴走してしまうこともあります。あなたがもし、欲望を抱いたとしたなら欲望と向き合う気持ちは必要になってくるでしょう。向き合って欲望を果たすために物質社会で行ってはいけないことは悟ればよいのです。
そして、欲望から湧き出る力をプラスのエネルギーとして自分を創造させていくことにつなげることで、あなたの抱く欲望は強大なプラスのエネルギーとなり思いを望成就へと導く扉を開くエネルギーともなるでしょう。願望と欲望のバランスを整えることで願望は叶い、欲望は強いエネルギーとなります。

欲望と願望とは

感情が複数に入り混じり存在するのが人間の心ですから欲望と願望の違い、境界線がどこにあるかは本人でも分からないことだと思います。願望と欲望をあえて決めていくとしたらあなたの「求める思い」によって欲望と願望は決まってくるのでしょう。
願望と欲望は類似していますが抱かれるエネルギーは変わってきます。
願望は、心で感じることで無意識で体の緊張をほぐそうとする心を中心とした働きとなります。
大好きな相手の前で自分を上手く表現できない、はにかんでしまう、自然体でいられないなど肉体的な緊張状態から起こる現象です。
誰にでもある、ごく自然的な体のメカニズムとなりますが恋愛の状況よっては不利となる場合もあります。
そんなとき、
「〇○さんと恋愛が叶います様に」
と、願望を持つことで無意識の範囲で緊張状態が解れていき、好きな相手の前で自分らしさの表現が出来るようにもなっていくのです。
しかし、人間の意識は普段、有意識(顕在意識)が優先され働いていますので無意識で緊張状態をほぐしていても体の緊張状態を保ってしまうことが多く自分らしさがなかなか表現できない悩みを抱え込んでしまうことが多いのです。
無意識への対話などが盛んに言われているのは、無意識は潜在意識ですから心理の深い階層にアプローチすることで有意識(顕在意識)を打破して本来の姿を表現できるような自分へ向かわせることができるからです。
恋愛において、願望とは初期に最も抱きやす容易な感情であるとも言えます。
願望を抱くことで無意識への回路が開かれます。

欲望とは、欲しいと思う気持ちと不満を満たそうとする肉体を中心とした意識となってきます
言葉自体には悪いイメージを感じる方もおられるでしょうが決して悪いものでは御座いません。願望が変化していくとで欲望へ変わっていくことも多いです。

では、願望が欲望に変わるときはどんなときでしょう。
たとえば、二人で愛を確かめ合い深い関係になったのに恋愛の発展がそれ以上、先に進まないとき。
セックスはあくまでも肉体的欲求ですから一例として、セックスをしたのに恋人と思えない状態、相手にあなた以外の異性の存在を感じるとき。
セックスはなかっても、愛を相手に与えていることは多々あると思います。あなたの愛を相手に与えているにも関わらず相手から愛を与えてもらえない状態など、相手に対しての不満を抱くときなど、相手の愛が欲しいと思うこと、独占したいと思う心は願望は欲望へと変わった時と言えるでしょう。

人の心は複雑ですから願望と欲望を同時に抱くこともあります。自分の心でありながら望むものが願望であるのか欲望であるのかも分からないこともあります。
そんな場合には自分の思いはどちらなのかと悩むこともあるでしょう。
あなたが抱いている感情の目安として、願望は「願う心」であり、欲望は「欲しい心」の感情と考えれば分かり良いとは思います。また、どちらの度合いが高いのかも判断材料にするのも良いです。