限られた時間の中で幸福を追求するために

限られた時間と永遠の魂の狭間で幸せを求め生きるのが人間

限りある命の時間の中でHEADLINE

叶わない恋を叶える方法

他力本願で生かされること

「他力本願は悪いことですか」とご相談を頂きます。他力本願とは仏教用語となります。この言葉自体に良い悪いは御座いません。また他力本願事態にも良いや悪いはないのです。
他力本願を簡単に説明致しますと「他力」とは「阿弥陀仏の力」となります。本願は「阿弥陀仏の力によって極楽浄土への約束」の意味となります。人の行い善悪を問わず、悪人であったとしても死後、阿弥陀仏の力によって極楽浄土へ成仏を阿弥陀仏が約束することを意味している言葉となります。
「他力」の言葉のインパクトで他人の力を借りると誤用されているだけに過ぎません。

たとえば、あなたが先輩の力を借りて仕事で成功を成しえることができたとしても必ずしも他力本願とは言わないのです。先輩との人間関係を構築して力を借りることが出来た自力の成果と言えるからです。しかし、その後、先輩との関係が悪化したり、その際、恩を感じていた自分がいたとして、恩を忘れる様なことがあれば後々に「人のふんどしで相撲を取る」など周りからは批判されてしまうこともあるかもしれません。人間関係は時々によって変わってしまうことがあるものです。

他力本願の「他力」とは仏教用語で仏教での神仏であります。大きな視野で見ると神のご加護を授かることを示す言葉です。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など大きな宗教から新興宗教を含めて各宗教が崇拝する神や信仰から得られる「加護」となります。何れの神を選択するかは親の代から決まっていることもあるでしょうし、自分自身が決めることになります。勿論、宗教を信仰しなければならない義務は日本国にはありません。思想の自由と選択権有は憲法で定められた日本国民の権利として守られていますので日本には国家統一的な宗教はありません。宗教の自由が日本国となります。

限られた時間の中で人は生きています。タイムリミットがある命だからこそ幸せを追求するために生きていけるのかもしれません。けれど現実は心が苦しくて辛くなることも数多あるものです。
どんな力を借りようともあなたが幸せを追求できるのであれば現世で幸せを手にすることへつなげていければよいのです。それが他力本願であったとしても気にすることなどないのです。人は他力本願で生かされることもあるのです。自助を超越する力を呼び込んでくる選択肢の1つとなります。現世で幸せを掴むことへ心が動くことは来世への幸せへともつながっていくものです。当サイトでは成仏できる死後についての見解は、来世を生きる命を創造する現世の生き方に全てがあるのだと感じております。懸命に生きる現世は来世への幸福を約束されていくものであるから自力でも他力でもそんなもことは関係なく現世での幸せへの追求は必要不可欠であると思っております。
「他力本願」を良いか悪いかを決めるのは自分自身の心でよいと思います。