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私は何のために生きているのでしょうか、こんなに辛いのに何故生きなければならないのですか・・
とメールを頂きます。
人は何故、生きるのでしょうか、
人は強く生きなくてはならないかもしれない。
強くなければ負け犬に成り下がる
非情な社会かもしれません。
でも人は、そんなに強く無いんです、弱くてもいいんです、生きることに何故、理由が必要なのでしょうか。
弱いから、負け犬だから、非情な社会だから人は弱くても強くなれることも出来るのです。
弱いことは決して強く無い人間を言うのでは御座いません。
そして、強いから良いとも言えないのかもしれません。
自分らしく生きることが出来れば、弱くても強くても、そんなことに悩む必要すら無いのではないでしょうか。
人間関係に疲れ、恋愛に傷つき、現状の悲しみに心を追い詰めながら辛い日々を過ごすのは過酷で残酷なことであるのは確かです。
心とは裏腹に無常に時は過ぎ、傷が深くなるばかりの日々に何故、生きるのであろうと絶望を抱くのは人で在る限り自然の摂理であることも否めません。
人に傷つけられることも、人を恨む心にも精神の限界が我を襲い命を絶つ衝動にかられ自身を傷つける行為に及ぶこと。
それは、人間が人間である限り逃れられない感情でもあるでしょう。
絶望と失望の中、現状を引きずる人は、これでは駄目なのだと、言葉では分る、頭では分る、けれど心が追いつかない・・
心の葛藤に誰の言葉も届かない聞き入れない今の自分が嫌いですか?
嫌いならば、まずは自分を好きになることから始めましょう。
何も出来い自分だっていいんです。息をしているだけと思うかもしれません。
ジメジメとした感情に嫌になることも多々あるでしょう。
されど、何一つ否定せず全てを受け入れ現状の自身を嫌わず好きになって頂きたくお願い致します。
受け入れることは辛いことでしか無いと思うかもしれませんが否定すればするほど、苦しくなる、悲しくなる渦から逃れられず彷徨うだけ。
ならばその渦を飲み干しど真ん中に座ることを試みてください。
それは、渦にのまれ溺れてた自身、渦にもがき必死で泳ぐ自身でもなく渦の流れに身を任せその真ん中にどかっと腰を据える事です。
さすれば、明日が見てきます。
そして、何をすればよいか次第に分かってきます。
自分を好きになれば何かが変るかもしれません。
その場から一歩踏み出す勇気が沸くかもしれません。
何かが変ることにより現状から脱却する方法は幾らでも掴めます。
全ては線で繋がります。
考え方を少し変えるだけで人生は大きく変ります。
そして、人は何故生きるのか、それは生きることでしか幸せと幸福を得ることが出来ないからです。
この世に生れ出た魂が幸せと幸福を手にするために肉体は必要不可欠なのです。
肉体と魂が共に共感できる幸せは生きている人間だから味わえる祝福の瞬間なのです。
どちらがかけても幸せも幸福も在り得ず祝福の瞬間も訪れません。
だから、人は生きる、自身の寿命が尽きるまで賢明に生きるのです。
もし、あなた様が辛い時期にいるのであれば、未来に掴むであろう幸せと幸福を胸に抱き少しずつ前を向き始めることをしようではありませんか。
ほんの少し考え方を変えることが出来れば誰にでも幸せや幸福が訪れる可能性はあるのです。
前を見る心、未来を願う心、呪い・魔術・祈りはそんな燃える命を原動力にその効果を促します。

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