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子供は国の宝、自分にとっても子宝と言いますが子供を守る為に宝意識から放れましょう。
あなた様にとってお子様は宝には変わりは御座いません。しかし、お子様は一人の人間であり人格者です。
ダイヤ、ルビー、宝石の様に自分勝手な思いより手放すことのある宝とは違うのです。
自分の手から離れるときは、親からの巣立ち、それは、子供が親になる為のステップなのです。
親から子へ、子から子へと人の心は引き継がれ人類は続いているのです。
宝とは自分だけのものであるものだから人として命、生があるお子様は宝には成り得ないのです。
一人の人格者として接しながら親は子より先に生まれた人生の先生として、お子様の成長をサポートすることに徹することが望まれます。
大人の社会にDVやセクハラなどがある様に子供の世界、社会のイジメは当然と考えなくてはなりません。
大人の社会はあくまでも子供の社会の延長線上にあるのですから本来、暴力や誹謗、中傷が大人の社会で犯罪であるならば子供の社会で起きた出来事に対して大小関係なく犯罪として扱うべきでしょうが現実は、イジメと言う言葉に守られし悪行は犯罪の定義には値されません。
それは、やはり、上記にも述べた通り子供の人格を認めない大人社会が作り出した負の産物とも言えることでしょう。
ならば、イジメから子供を守るにはですが、よく耳にするのは子供は学校での出来事を親に喋らないとか恥ずかしいから言わないと言いうことです。
しかし、本当にそう思うでしょうか、
それは、著名ある人たちの言い訳に過ぎず、大人の立場から見た子供社会を湾曲させた反映に過ぎないのかもしれません。
お子様が生まれたとき、とても嬉しかったでしょう、それと同時に子育ての厳しさ、難しさ、大変さを身に覚えたと思います。
生まれたてのお子様は、何事に際しても泣くだけで、それ以外の信号を発しません。
お子様が泣くたびに親は、「お腹が空いてるの」「どこか痛いの」「眠いの」など、様々なことを考え試行錯誤しながら子育ては過ぎて行きます。
その頃を少しだけ思い起こして下さい。
ある一定の時期を超えたときからお子様の泣き声で何を欲しているか予測がつくようになりませせんでしたか。
泣き声、仕草で言葉の通じないお子様と心が通じたときの喜びを思い出してください。
そうなのです、子供の成長とともに会話が始まり言葉で要求を理解する様になって楽になった反面、お子様の心が見えなくなって本当の欲すること、
言葉の裏に隠れた真相、そして、仕草を見落としてしまっているのです。
生活に追われる日々、多忙なお仕事に何時しか、親は子供と真剣に向き合わなくなってしまったのかもしれません。
お子様は常に自分の心を開いてSOSを発していることを忘れてはいけません。
恥ずかしいとか、何も喋らないとかは大人の言い訳に過ぎず、言葉の裏に隠れた真相、仕草、態度の変化を見落としている結果がイジメから子供を救えない大きな要因となっているのは否めないのです。
非常に残念と思いますますが現状では頼りになるべき組織は機能不全に陥っております。
イジメを無くそう、イジメは悪いこと、そんな事を言っている間は関係各位に任せておくわけには、いかないもの現実として受け止めなければなりません。
イジメはあって当然、無くならないものと考え誰もが被害に合う可能性を秘めた問題として親は常にお子様の言葉の真意を探る努力と仕草、態度に敏感になる必要はあるでしょう。
そして、お子様のSOSを感知することがあったなら戦う道を選ぶか避ける道を選ぶか家族間での話し合いを重ねながら打開する道が求められるでしょう。
様々な事情もあるでしょう、社会人としての自身の立場だって御座います。しかし、お子様の人格を尊重した答えを選択することがお子様の未来に大きな影響を与えるとことを忘れてはいけません。
戦うことも避けることも、どちらも辛く苦しい道のりになるかもしれません。
大切なのは起きてる現実を早期に察知出来る感覚を親として養うこと。そして、最悪が起こっていると思ったら迷わず現実に取り組む姿をお子様に見せること、親が安心な逃げ場所としてお子様に安らぎを与えることになるでしょう。

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