白魔術後につきまして

誰もが肯定される魂であり、命であり、それを壊せるものはどこにもいない。

否定する前に肯定しょう

否定される人生なんてものはありません

カルマ浄化魔術
前向きに生きることで未来は変化する、目的意識を確立することで明日は変わってくる。けれど、それを重たく感じてはいけません。焦りを感じることもありません、マイペース。

今現在、後ろ向きの姿勢だったり、ネガティブと他者から言われても、それすら肯定すればよいのです。肯定することに何も問題などありません。あなたの生き方、考え方、誰かに何かを言われても、その人の人生ではないこと。あなたの人生はあなたの人生です。この世に授かったかけがえのない命、光と輝きに満ちたエネルギーであることにポジティブもネガティブも関係なく唯一無二の存在。

だから「出来ない時は出来ない」それでいいんです。出来ることから始めればよし、辛いなって感じるときは、急いで何かをするとは考えず、休み、休養、休憩、自分に与えればよいのですよ。

大切なことは自分に無理を強いらないこと。私たちは自由なのだから、その自由、自分で抑制することはないのです、だから今、あなたが後ろ向きだったり、ネガティブだったとしても何も問題ない、心の平穏と安らぎを取り戻しながらあなたが向き合うべきものは、他者でなく自分自身、だから、あなた自身、その生き方が辛いと感じた時、やっぱり、ポジティブに生きた方がよいな、って思えた時、その時が岐路であり、自分を変える分岐点とチャンスなのです。

「チャンス 到来」

分岐点やチャンスは幾らでも、何回でも訪れます。だから、一度や二度の失敗なんてことも恐れずにチャレンジを継続していきましょう。そして、自分を大切にしましょう。どんなときだって、何を感じているとしても、自分を大切にする気持ち、それは、周りの人を大切に思う気持ちと同じエネルギーなのですから。

誰もが肯定される魂であり、命であり、それを壊せるものはどこにもいない。

1つの考え方として
例えば、インターネット、SNSでの誹謗中傷等の書き込みを見た、コメントがあった場合

それを、あなたに対しての批判や評価と受け取るか、書き込み者の意見として見るか、角度を変えてみると、同じ言葉でも自分に発信されているのか、その人の単なる意見、自己主張と受けるかで受け止め方が全く、違ってくると思います。
単なる意見、主張であれば、言葉、コメント自体、自分自身が受け止めたり、当てはめたりする必要性は全くなくなってきますよね、気にしないでよいとなりませんか、その人に私の何が分かる、何を知っているの?と思えるでしょう。
十人十色、これもまた多様性と考がえれば気にならなくなるでしょう。
「この人は、こういいう意見の持ち主か、私とは意見が合わない、価値観が違うな」
と思える様になりませんか。それはつまり「自分に合わない人=自分の世界とは無関係」と意識を働かせられたら、コメントに動揺したり、自己とつなげて考える必要は全くなくなると思います。

そして、反射するのが心のエネルギー、すなわち、誹謗、中傷等の書き込みは、書き込んだ人自身が、自分へ
あてたメッセージであって、書き込まれた本人に対してではないと考えていけばよいのです。

書き込みでの3人の法則

初回の書き込みに、同等の意見が3回ほど続いた場合、その後に続く、コメントは初回のコメントに合わせてくる、従って、炎上等、書き込みが乱れる場合は、無責任・無意味の集合体に過ぎず、そこに集まるコメントに建設的な意見もなければ、自己主張もないので、気にすることは全然ありません、静観する勇気を持ちましょう。

問題、課題も多いインターネット、SNSですが、ここでの出会いで人生をまるで180度、好転させた人も数多、そして、かけがのない縁を得る人も多く存在しています。この未完成で未熟なネット世界ですができるならば楽しんでいきましょう、きっと、あなたの人生に大きな喜びや希望の種があちらこちらに植えられているはず。適度に怖がりながらも念頭に、大いに楽しむのが本来のネット世界の姿だと思います。


賛否両論の世界だから発展する

カルマ浄化魔術
誰もが同じ意見なら、その世界での発展の歩みはなくなってしまう。意見が違ってこそ、発展がある、私たち魔術の世界も賛否両論があるからこそこれからも発展の歩みを止めることはないでしょう。

とかくネット社会ではブログで頑張る人、ツイッターなどSNSで色んな意見を発信する人たち、それは老若男女問わず、沢山の意見が交わされる、ときにそれは人を傷つけ、苦しみの渦中へ、人を追い込んでしまうこともある、誹謗・中傷を見ることになる、自分が嫌になる、嫌いになる、それを見て笑っている人がいる、暴力は力だけではない、言葉の暴力は、心をズタズタに切り裂く、見えない血反吐を吐きまくっては、グラつく自分を見えない太鼓で鼓舞する、それを見て批判を繰り返す人はまた笑う、それもまたインターネットの世界。

だから言う、この世界をまるごと飲み込もう、そして、吐き出してしまえ、

大切な命、たった一つの命、飲み込まれてしまうだけでは、あまりにも勿体ない。

私たちは光に包まれし光の住人、光あるからこそ、そこに闇がやってくる、そうなのだ、彼らもまた光に本当は包まれて生きたいのだ。

辛いことに遭遇しても逃げず、向き合おう、嫌な人とも話をしてみよう、同じ人間であるのだから、どこか、分かり合えることもあるだろう。

消えない、消せることできない闇ならば、あなたの光で照らし続けて見よう、何か、変わるかもしれないだろう。

命は燃やすためにあるものだから。

命の炎は燃やし続けてこそ、人は美しい、光り輝くものだから。